ご家族、ご親戚、お知り合いの方方が大変な思いをなさっているものと推察し、心からお見舞い申し上げます。
また、早速に心暖まるお見舞いをいただき、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
『震度7』という激震帯のほぼ真ん中「本山」にある当校・甲山国際文科学館の本校舎・南校舎・新校舎、およびその東端「夙川」の小生の自宅のいずれもお陰をもちまして奇跡的に無傷でした。さらに教職員とその家族一同ともに無事であります。被災地のまっただ中にあっても、私も甲山国際文科学館もきわめて元気に活動しています。他事ながらご安心ください。
1月17日未明の神戸・阪神間を激烈な地震が襲いました。薄暗闇の中に到底信じられない光景が目前に広がっていました。小生自宅の西隣の家、および南側一帯200m位の家家がほとんど倒壊・消失し、奇妙に静かでした。一瞬のうちに世界が死んで、私だけが生き残らされてしまったという恐怖が全身を走りました。
家族の無事を確かめて、すぐさま車で学校に向いましたが、道路という道路には、いたるところに大きな亀裂・隆起・断層が走り、7階建マンションがひっくり返り、5階建のビルは挫折し、夙川の橋橋はいずれも落橋の危険にさらされていました。西宮・苦楽園〜芦屋・六麓荘〜神戸東灘区・森北という山手・高台の全く無傷の地域を経て、7時頃に「本山」にある学校に到着すると、倒壊した下宿先のアパート・マンションから這いずり出してきたといった学生が泣きついてきて、互いの無事を確かめあったのです。小生の自宅真ん前の方方を始め、一帯だけで30数名の方方が亡くなられた状況を思い、無事であったことが不思議です。
パニックのような電話の不通状況の中で困難を極めましたが、17・18・19日は、学生の「安否確認]および下宿生の確保と実家への送り出しに追われました。直接または伝聞によって、おおむねの無事が確認できたのですが、しかし、下宿先のアパートの倒壊によって学生1名(岡本英和君/法律学科一回生・石川県羽咋郡出身)を失いました。無念の思いが、日に日に強くなります。
20・21日は、事務室の復旧に総力を挙げ、ようやくに電話回線も通じ、在校生や多くの方方に「学校は無事である」という報告ができるようになりました。
22日は、岡本君のご葬儀に参列しました。平穏な能登の海を見るにつけ、悲しみがよみがえり、現役学生の弔辞を読む辛さに憾みをいっそう深くしました。
23〜25日は、教室・事務室の整備に追われつつ、在校生の授業・期末試験についての協議と通知作業を完了しました。
東は奈良・北は大津・西は赤穂という広範囲からの通学は、寸断された阪神間の交通事情からはほとんど不可能に近く、したがって(1)第三学期の授業は中止とする(2)期末試験はレポート提出に切り替える(3)交通事情が一定程度復旧するであろう3月下旬に補講をすることとしました。
26〜31日は、下宿の状況調査と新たな下宿斡旋作業を展開し、おおむね完了して、いまは新入予定者の下宿先確保に走っています。
さらに、2月1日からは、私たちにとっての生命線である「95年度生・学生募集」活動に突入しています。
悲惨の一語に尽きる神戸・阪神間の光景・街並にあって、新入生募集はきわめて困難になるであろうことは覚悟して、私たちは明るく・元気に活動しています。あの大震災の17日以降、出願者は12名を数えております。1月末から2月初旬というのは、例年の出願者が数名という端境期にあたっているという実績からみて、上上のスタートを切っているといえます。
私たちスタッフ15名は、きっと修羅場に強いメンバーなのでしょう。交通事情はもちろん、水もガスもまだまだままならない状況にあっても、日常業務をこなし、新たな教育活動のプランを構想しつつあります。
本当にご心配をお掛けいたしました皆皆様への現状報告が遅れましたことを深くお詫びしつつ、被災地のど真ん中からの熱いメッセージをお送りいたします。
末尾ながら、ご自愛のほど衷心よりお祈り申し上げます、とともに改めまして、ご家族、ご親戚、お知り合いの方方が大変な思いをなさっているものと推察し、心からお見舞い申し上げます。
1995年(平成7年)2月8日被災23日目

*学校一帯の見取り図